阿美の本棚

阿美の好きな書籍の言葉や、最近好きな「鬼滅の刃」に関するレビューや考察(ネタバレしています)を書いています。

ちいさこべ

(花筵より)

「自分は良人(おっと)を愛した、良人は自分を愛してくれた」お市はこう呟いた、「あのとき良人は自分の諄(くど)い質問に対して、つきつめていえば夫婦が一心同躰だということも本当ではない、人間どこまでいっても孤(ひと)りなんだと云った、ずいぶん冷たい考えのように思ったけれど、常にそれを知っていた良人の愛こそ、一心同躰などという曖昧なものではない慥さと深さをもっていたのだ、どこまでいっても人間は孤独であるという、そのごまかしのない表情は良人が自分を人間として愛して呉れた証拠である、自分は本当に良人に愛されていたのだ」


(ちいさこべより)

「おめえのことじゃねえ、子供のことを云っているんだ」と茂次が云った、「子供にはそういう年ごろがある、中にはそんなことに気のつかない者もいるだろうが、たいてえな者は覚えがある筈だ、そうして、当人は決してみだらな気持ちなんかもってやしない、自分でどうしようもなく、しぜんとそうなってしまう、みだらだと思うのはおとなのほうだ、自分にみだらな気持ちがあるから、子供の眼がみだらなように見えるんだ」


「ばかげた子供っぽい考えかたかもしれないが、おれにはどうしても、おやじやおふくろが死んだものとは思えない、あそこに骨壺が二つあるからには、死んだことに紛れはないだろう、生きているとは思わないが、仏になってもらいたくはないんだ、おれが大留を立て直すまで、元のおやじとおふくろのままで、あそこからおれを見ていてもらいたいんだ、- こんなことは世間にはとおらないだろう、仏をそまつにすると云われるだろうが、誰になんと云われてもいい、おれはそのときがくるまで、決して二人を仏あつかいにはしないつもりだ」


(ちくしょう谷より)

「私は失敗致しました」と老人が深い声で云った、「こんなことを申し上げるのはいかがかと思いますが、朝田さまも失敗なさるかもしれません、そんなことのないように祈りますけれども、肝心なことは失敗するかしないかではなく、貴方が現にそれをなすっている、ということだと思うのです」



「法は最上のものではない、法を完全におこなおうとすれば、この世で罪をまぬがれる者はないだろう、人間はみな大なり小なり罪を犯している、この世にはあらわれずにいる罪が充満しているといってもいいくらいだ」



「ゆるすというということはむずかしいが、もしゆるすとなったら限度はない、-ここまではゆるすが、ここから先はゆるせないということがあれば、それは初めからゆるしてはいないのだ」


(へちまの木より)

「人間としをとればいろんなことがわかってくる、わかるにしたがって世の中がどんなにいやらしいか、人間がどんなにみじめなものか、ってことがはっきりするばかりだ」



――よくつきつめてみると、人間ってものはみんな、自分のゆく道を捜して、一生迷いあるく迷子なんじゃないだろうか。



――かなしいな、生きるということはこんなにかなしいものなんだな。
その店を出て、あるきながら房二郎はそう思った。女は木内を心から好いているようではなかった。けれども、しがみつたり、抱き緊めたり、頬に吸いついたりするしぐさには、単にしょうばいだけでないなにかがあった。――迷子だな、あの女も迷子だ、なにか自分の生きるすべを捜している、迷子だ。